「こうしてみると、事務員さんたちが学生に連絡したのが、かなり早い段階だったと、わかるね」
「毎年のことなので、GWが終わった次の日、全講義無断欠席した学生には連絡する決まりになっているんです。去年もこんな感じでした」
「なるほどね。それにしても神経質だね。休み明けに来なくなる学生は多そうだけど」
いわゆる五月病、新学期が始まり期待と緊張で凝り固まった心が疲れ始めるのが、この時期だ。GWは、そんな心と体を休めるには良い休暇といえる。
とはいえ、大抵の学生はバカンスに興じるから、かえって疲れて、休み明けにダウンするパターンは多い。
「事務員からの連絡を始めたのも、ここ数年らしいです。実際にいなくなっちゃった事件があったから、大学としては対策を打っておかないといけないっていう建前みたいで」
「いなくなっちゃった事件?」
理玖は晴翔を振り返った。
「四、五年くらい前に、学生が二人、GWが終わって二週間くらい無断欠席して、親が捜索願を出して警察も動くような大事になった事件があったらしくて。結局、二人とも見付かって事件性はなかったらしいんですけど」
「見付かったって、どこで?」
何処で何をしていてもいいが、せめて親に連絡くらいしておけば、大事にもならなかったろうにと思う。
「それが、男子学生の一人暮らしのアパートで二人一緒にいるところを発見されたらしいんですよね。二人は大学で知り合って付き合い始めた恋人だったみたいなんですけど。男子学生がonlyで女子学生がotherのカップルで。ずっとセックスしてたって話していたみたいです」
「ずっとって、二週間も?」
WOのカップルなら、互いのフェロモンに煽られて止まらなくなる状況は想定できる。とはいえ、二週間の間に他者に連絡を入れるくらいの余裕はあるはずだ。
「そうみたいです。でも、捜索願を出す前にアパートの部
徐に眼鏡を外すと、机の上に置く。 向かい合って立つ晴翔に、理玖は両手を広げた。「さぁ、晴翔君。力いっぱい僕を抱きしめてくれたまえ!」 恥ずかしすぎて声が上擦った。 眼鏡を外したせいで晴翔の顔が全然見えない。故に今、どんな顔をしているのか、わからない。 ぼんやりと晴翔の手が近付いたのが分かった。 大きな手で顔を包み込むと、触れるだけのキスをする。「晴翔君、今、キスは……んっ」 晴翔の腕が背中に回って、理玖の小さな体を抱きしめた。「だって、無理。家でしか見ない眼鏡なしの可愛い理玖さんが白衣着て、俺に抱きしめてっておねだりしてるのとか、可愛すぎて、色々無理です」 重なる晴翔の頬が熱い。 甘い香りが濃く漂って、頭がぼんやりしてくる。 晴翔からaffectionフェロモンが放出されているのだとわかる。 抱きしめてくれる手も、掛かる吐息も、服が擦れるのすら気持ちがいい。「理玖さん、フェロモンいっぱい出てる。俺、我慢できないかも……」「それはダメだよ。僕もフワフワするけど。國好さんも栗花落さんも見てるから」 理玖は、ちらりと栗花落を窺った。 晴翔の顔が上がって、同じ方を向いた。 理玖と晴翔を冷静に観察していた國好が、栗花落に顔を向けた。「どうだ? 何か感じるか?」 栗花落が首を傾げた。「特に何も感じないっすねぇ。普通に向井先生と空咲さんがイチャついてるの、見せ付けられてるだけっていうか」 栗花落が困った声で笑う。 大変に恥ずかしい気持ちになって、理玖と晴
〇●〇●〇『向井君はなかなか俺に靡《なび》いてくれないね。結構、優しくしているつもりなんだけど』 新人の頃から一年くらいは、折笠も理玖にしつこかった。 理研の健診でonlyの性がバレてからは、殊更しつこくなって辟易していた。『恋人も愛人も、なるつもりはありませんから』 もう何度も繰り返している同じ言葉を、また繰り返す。『俺以外にも作る気はないの? キミを見ていると、勿体ないと思うな。もっと気安く遊んだらいいのに』 首筋を折笠の手が撫で上げた。 ねっとりした仕草に寒気がして、思わず手を振り払った。『すみません、つい……』 払われた手を撫でて、折笠が笑った。『潔癖というより、怯えているようだ。リハビリが必要なんじゃない?』 脳裏にレイプされた光景が蘇って、体が強張った。(セックスならロンドンでも何度もしてる。リハビリなんか必要ない。恋人だって、作ろうと思えば作れるんだ。作らないだけだ) そんな風に自分に言い聞かせた。『俺はnormalだから無駄に君を傷付けないよ。したくても、出来ない』 声音が変わった気がして、理玖は俯いていた顔を上げた。『離れられない程に傷付けて、どうしようもなく俺に縛られてほしくても、結局はotherに持っていかれちゃうからね。だから愛人は何人作っても全員大事にするのが信条なんだ』 さっきまでとは、言葉のニュアンスが変わって聞こえた。 まるで、縛り付けてでも欲しい相手が存在するよ
「それで、向井先生。折笠の事件、他殺で立証できそうですか?」 國好が眉間に皺を寄せて問う。 一見すると怒っているような顔だが、不安や心配がある時も眉間に皺が寄り易い人なのだと最近わかってきた。「PCに残っていた指紋は、折笠先生本人と佐藤さん、鈴木君だったんですよね」「検出した指紋はあと二人分ありましたが、メンテナンスで触れたシステム職員の指紋でした」 確認はしたものの、指紋については、理玖としても参考にはならないと思う。 同じように遺書も無意味だ。 折笠の遺書はWordで書かれた文章が開いたままになっていたらしい。「PCの遺書は偽造で間違いないと思います。最悪、どこかの文章をコピペしても作れる。一文字ずつコピペを繰り返せば自分で文章を作れる。キータッチする必要すらない。タッチペンでキータッチして文書作成してもいいですしね」 キーボードに指紋や痕を残したくないなら、マウスだけ使用すればいい。 痕跡をなるべく残さないなら、ワイヤレスではなく有線のマウスを使用して持ち返れば、Bluetoothなどの足跡も残らない。 タッチペンを使えばペンの物紋は残るだろうが、そのペンから犯人を辿るのは不可能だ。「どっちにも、できちゃうんですよね」 理玖の呟きに、國好が困った顔で首を傾げた。「自殺でも、他殺でも、どっちでも立証できちゃう、曖昧な感じなんですよ。曖昧というか、両方だったのかなって、思い始めました」「両方、ですか?」 國好が戸惑った声を出している。「臥龍岡先生が自分を殺そうとしていると気が付いた折笠先生は、あえて抵抗せず作戦に乗じた。カフェインを含む飲料を多めに摂取し、促されるまま興奮剤を煽り、定時のサプリを内服した。むしろ利用さ
「でも、臥龍岡先生が折笠先生の愛人なら、鈴木君は……。二人はお互いが折笠先生の愛人だって、知っていたんでしょうか?」 さっきから晴翔の顔が引き攣っている。 きっと晴翔にとっては理解できない次元の内容なんだろう。「折笠先生に複数の愛人がいるのは理研の頃から有名だけどね。お互いが知っていたかは、わからないけど。少なくとも臥龍岡先生は知っていたんじゃないの? じゃないと、鈴木君を利用できない」 さらりと言ってのけた理玖を眺めて、晴翔が信じられない顔をした。「それって鈴木君を恨んでたから利用したんですか? それとも、いっぱい愛人作る折笠先生が憎くなって殺しちゃった?」 晴翔の発想がどろどろの愛憎劇に傾きかけている。「むしろ、臥龍岡は本気で折笠を愛してはいなかったんじゃないでしょうか? RISEのリーダーとしてDollのリーダー折笠の懐に入り殺害するための愛人偽造では?」 國好の解釈も國好らしいというか、大変作為的だ。「栗花落さんは、どう思います?」 どうせなら全員の意見を聞いてみようと思った。 突然、話を振られて栗花落がビクリと背筋を伸ばした。「俺っすか? んー、どうだろうなぁ……」 栗花落が困った顔で笑う。 その顔が引き攣っているように見えた。 ひくりと変な呼吸をしたように見えたが、呼吸を飲み込んで、栗花落が口を開いた。「……純文学の作家さん、っすよね……。愛しているから殺した、みたいな話っすかね。臥龍岡がRISEなら上からの命令も、あったでしょうけど。殺したら自分だけの存在になる、みたいな感じ、とか?」 晴翔と國好が二人揃って同じように不可
「でも、こんなの、まるで臥龍岡先生が殺したみたいじゃないですか。折笠先生がこの手の本に興味があったとは、思えないですよ」 晴翔の言う通り、折笠は純文学になど興味はないだろう。 そんな折笠がこの壁紙を使う意図があるとしたら。「研究室に入り浸るほど仲が良かったって、つまりは愛人だったんだろうし、読んではいたかもよ。そういうマメさはある人だから。臥龍岡先生が壁紙使ってってお願いしたら、折笠先生は使いそうな気がする」 会話の録音データの中で佐藤が「よく遊びに来るし、それはもう長居している」と言っている。 現在進行形で頻繁な来訪だと判断して良さそうだ。 何より臥龍岡叶大は折笠の好みドストライクな顔面をしている。地味ではないが派手でもない性格といい、折笠が如何にも好みそうだ。惜しむらくは年齢がやや高いくらいだろうか。 それでも捨てなかったのだがら、お気に入りだったんだろう。「愛人が出したベストセラーをちゃんと読んで、お願いしたら壁紙も使ってくれる。優しいしマメですね」 晴翔が難しい顔をしている。 何かが納得できないらしい。晴翔の中で折笠に対するイメージとの乖離が激しいのだろう。「そうなると、鈴木君と同じ方法が臥龍岡先生にも可能になるね。おねだりして興奮剤を飲ませてカフェインの血中濃度を上げる。こっそりコーヒーに興奮剤を混ぜる、とかね。鈴木君より上手に出来そうだ」 晴翔が宿木サークルの会員名簿を手に取った。「臥龍岡は、自分と同じ殺害方法を鈴木にもさせていたのだろうと思います。鈴木圭も白石凌も宿木サークルで洗脳された可能性が高い。洗脳したのは臥龍岡だろうと踏んでいます」 國好がスマホで検索した画面を見せてくれた。 臥龍岡の書籍一覧だ。 その中に『恋人
「理玖さん、理化学研究所って、ここ数年は資金難で研究部門を削ったりしていましたよね? 国立行政法人ではあるけど、運営は所長に一任されてて、事実上民営化した機関だったと記憶しているんですけど、あってます?」 晴翔の突然の質問に、理玖は顔を上げた。「え? うん、そんな感じだったと思う。安倍所長が国の依頼を受けて少子化対策に力を入れているから、関わりが薄い部署が幾つか閉鎖されていたよ」 理研の現所長・安倍千晴は優秀な科学者だが、視野が狭い。国の命令に従順だから、研究部門も減る一方で少子化対策に偏りがちだ。「わかりました。ありがとうございます」 晴翔がニコリと笑んだ。 どこか確信めいた笑顔だと思った。「問題は、秋風って学生が臥龍岡先生の名前を使って薔薇の園……、RoseHouseの話を振ってきたってことですね。國好さん、佐藤さんは本当に無事ですか?」 晴翔が表情を変えた。 真剣な問いかけに、國好が言葉に詰まった。「……生きているし、無事です。ただ、身を隠しています。表向き、大学に復帰予定になっていますが、見合わせる方向です」 何とも物騒な事実が國好の口から流れた。 RISEの目を欺くために、事実を隠していたのだろうが。理玖や晴翔の心配を煽らないためでもあったのだろう。「WO生体研究所にいた佐藤さんがRoseHouseの実情を知っていれば、秋風の暗号めいた言葉は瞬時に理解できる。折笠先生と一緒に殺されていても、不思議じゃなかったですね」 理玖の推察に國好と栗花落が言葉を飲んだ。 もしくは、折笠殺害のために邪魔な佐藤を遠ざける誘導だったのかもしれない。佐藤はまんまと相手の罠に掛かったワケだ。